DEVOAが始まる起源 Ⅱ 2025年1月22日 日本からParisに到着した。 飛行機から降りるといつもあの独特の匂いがParisを思い出させる。頭の中はいつもサンプルが入った荷物の紛失を心配しながら手荷物を受け取る為にゲートへ向かう。
私は明日から始まる25FW展示会の為にParisに来ている。今回で2009FWからParis展示会をスタートしてCOVIDの影響で3年ぐらい渡航出来ない期間を除くと継続して13年以上、26回Parisに来て展示会を行い挑戦を継続している。
何度も来たParisではあるが、今でも展示会では自分が制作した商品に対しての自信とバイヤーからの反応に対しての不安な気持ちが入り混じるとてもカオスな気持ちでバイヤーを迎えている。毎回、それぞれのコレクションで沢山の時間とDEVOAスタッフや縫製者、生地工場の協力を得てサンプルを制作し展示会する事が出来ている。 今回の章では東京で最初の展示会と最初のParis展示会を思い出して書いてみたい。
私は東京でDEVOAを始める前の1年間だけ日本国内ブランドのセールスエージェントの仕事をしながら、自分が制作した服の展示会を行う為に週末だけ東京から愛知県名古屋市のカフェやレストランで実験的な展示会を行っていた。 セールスエージェントの仕事では日本全国のセレクトショップに対して私が担当する幾つかのブランドのセールスを行っていた。 その仕事で沢山のセレクトショップオーナー様と対峙しながら将来DEVOAの展示会の際に取引したいオーナー様との出会いがあった。
2008年1月 DEVOAは2008FWコレクションで東京にて初めて展示会を行った。展示会には私がセールスエージェントの仕事の際に出会い、一緒に仕事がしたいと思える13人のセレクトショップオーナー様に手書きで展示会の招待状を書いた。結果11人のセレクトショップオーナー様との取引がスタートした。 私は沢山の店舗との取引を望んでは無かった。 店舗オーナーが拘りを持ち、商品に対する理解がある限られた店舗との取引を望んでいたので最初の展示会に対しての結果は私にとって充分満足する結果だった。
最初の展示会場は恵比寿にある駐車場奥の展示スペースを使った。 撮影も近くの電気屋で購入した安いカメラに私自身がシャッターを押しただけの撮影で、出来る限りDEVOAの為に集めた資金を減らさない様に努力していた。 その当時、両親と銀行から借りた資本金300万円でスタートした会社であったが最初の展示会では店舗販売価格合計3000万円分のオーダーを貰った。 このオーダーに対しての材料費は約1400万円なので当然私の資金に対して材料費が足りず最初の展示会で黒字倒産状態に陥った。 私は何も経歴が無い為、銀行等から多くの資金を借りる事が出来なかった。そこでオーダーしてくれた東京の店舗「AL」のオーナー様へ相談した。 オーナーである吉原さんは元々あなたに支払う金額だからと二つ返事で私に500万円をすぐに送金した。 全く無名なブランドである私に対してオーダーの全額を先払いで送金してくれたのである。 この事が無ければ私は最初のシーズンでビジネス的にブランド自体の継続自体が難しかったと思う。 今現在でもALとの取引は継続させてもらっているがオーナーの吉原さんとお会いする時や昔の話をする度にこの事を思い出す。 ちなみにその次のシーズンも吉原さんはオーダー商品に対する全額を納品前に私へ支払いをしてくれた。そのお陰で私は今も何とかブランドを継続する事が出来ている。 最初のシーズンは単純なビジネスの仕組みに対して学ぶ事が多かったと今では思う。
2009年1月 私は人生で初めてパスポートを作り日本を出国した。 私はParis入国の際のサンプルに対する書類の手続き、展示会どころか海外に対しての経験も全く無い状況で海外展示会に挑戦した。それはまるで前が全く見えない道を歩いている状況であった。 当時のParisは今よりとても寒く、東京とは違う寒さと雪の天候と慣れない移動だけで展示会前に体力も心も疲弊していた。
最初の展示会場はマレ地区のギャラリーを借りてindividual sentimentsと言う日本のブランドと1つのギャラリーをシェアして展示会を行った。 慣れない移動からやっと展示会場へ到着してからは休む暇も無くサンプルの設営や打ち合わせが始まる。
私は当時のパタンナーと一緒にParis展示会に来ていた。当時、根拠のない自信に満ち溢れていた私はハンガー等使わずサンプルの殆どを床に平置きにして展示会を行った。 沢山のブランドがParis展示会を行う中、当時の私が海外バイヤーと対峙する上での数少ない武器は独自の哲学と独自のパターンだけだった。 その為、展示方法もブランドの個性を主張する必要があると考えた。 今思い返すとバイヤー側からは商品が判り辛く、試着する為には床から服を拾って着用しなければならなかった。 その時の私は目の前の事に必死で客観的視点など持ち合わせて無く、ただ単純に自分の主張だけを通した展示を行っていた。
私がギャラリーをシェアしていたindividual sentimentsと言うブランドは2008年DEVOAと同じタイミングで東京にてデビューしたブランドだ。そして同じ場所、同じタイミングで最初のParis展示会を行った。デビューした年は同じであったがindividual sentimentsのデザイナーは海外ブランドでの経験もあって、ブランド及び製品の完成度やデザイナー自身の知名度共にDEVOAより遥かに優れたブランドだった。 実際、展示会場に来るバイヤーの殆どはindividual sentimentsを観に来るバイヤーであった。 私のブランドは隣に展示してあるが、まるで空気の様に商品を見てもらう事は無かった。 あの時の敗北感が今では私の心の支えと探究心に変わっている。 当時のParis展示会期間は1週間程開催しており、バイヤーのアポイントも殆ど無かった為に毎日がとても退屈で何をする為にParisに来たのかを考える毎日であった。日に日に銀行口座が減っていく感覚があり、毎日頭の中を言葉では表現が難しい恐怖が支配しながらもバイヤーとは笑顔で対峙していた。 最初のParis展示会期間では4件のバイヤーがオーダーを付けてくれた。 しかし、日本に帰国すると3件のオーダーがキャンセルとなり実際には1件だけのオーダーで最初のParis展示会を終えた。 結果、日本からParisに行き1週間の展示会を行った結果はたったの1件である。勿論、ビジネスとしては飛行機のチケット代金すら稼ぐ事が出来ず父から借りた100万円は一瞬にして溶けた。 スポーツをしていた時とは全く違う敗北感と作品を見てもらえない悲しさで人生で初めて貯金も自信も全て無くなった。 私をサポートしてくれた方々に合わせる顔が無かった。これがこの当時の私自身の実力である。
ファッションの流れは良い意味でも悪い意味でも早い。 Paris展示会で負った心の傷を回復をする時間は無く、当時生活の半分ぐらいの時間を周りに見つからない様にアルバイトをしながらまた次回のParis展示会に備えるしか私の道は無かったのだ。 単純に日々の生活すら困窮していた。 しかし、負けたままでは終われない気持ちが自分の心を支えていたのだ。
2009年6月 また同じ場所、同じブランドとギャラリーをシェアして展示会を行った。 前回と同様に展示会で商品を説明する時間より外で日光浴する時間の方が長く、毎回の様に私のブランドはまるでそこに何も置いてないかの様にバイヤーの目には止まる事は無かった。 この展示会では5件程の店舗からオーダーを貰った。しかしビジネス的には成立しない内容だったり店舗からの支払いに対する不安要素ばかりでオーダーを貰った感覚は無かった。 2回目のparis展示会後、帰国する飛行機の中では悲しむ時間も無く次の事を考えていた。 今よりこの当時の方が知識や先を見る能力が低い事もあるが精神的には強かったかも知れない。色々な事が初めてだった私は、子供の様に自分がやりたい事に対して集中出来たのかもしれない。勿論、この時も資金を作らなければ次が無い考えが常に頭を支配していてデザインばかりを考える余裕は無かった。
2010年1月 DEVOAとしてParis展示会3回目。 この時から少し展示会場の空気が変わった。 理由はわからないが私とパタンナーは、バイヤーの反応と展示会場の空気感が前回迄とは明らかに違っている事を感じ取っていた。 勿論、当時のセールスエージェントがプロモーション活動を継続してくれた事でバイヤーの来場者の数とDEVOAを見る目が変わっていった事は理解しているが不思議な高揚感に包まれていたあの感覚を思い返すと、とても懐かしい。 展示会当時はアルチザンな雰囲気の商品を取り扱う店舗がとても増えた時期でDEVOAが制作していた内容と相性が良かった事も販売が伸びた事に繋がったと思う。 この頃からやっとParis展示会が少し楽しくなってきた。 3回目のParis展示会で海外取引先店舗は8件程しか無かったが取引店舗の件数よりも自分自身の精神的な部分として満足していた。
現在は商品制作や制作以外でもDEVOAに関わる方々の継続的なサポートがあり当時より精神的に少しだけ成長を遂げ、素直にバイヤーと笑顔で対峙出来ている。 製品に対する想いは当時と変わらないが今もまだ夢の途中の様な感覚の中で生きている。 Parisで展示会自体を行う事は簡単だ。 Parisで展示会自体を継続して挑戦する事こそがとても難しい。 何故ならば制作する商品だけが良くても、デザイナーの人間性だけが良くてもブランドが継続する事は困難なのである。 そのブランドに対する想いを持った縫製工場、生地製作者、スタッフ、取引先店舗までが1つのチームなのである。この繋がりを継続する事が何より難しくビジネスが大きくなればなる程に沢山の弊害が起きる運命にある。 私も周りの支えが無ければ1シーズンで心が壊れていたと思う。DEVOAに関わる全ての方々にこの場を借りてお礼申し上げます。 そしてDEVOAを購入してくれているお客様にも心から感謝を贈ります。
次回はParisで起きた奇跡… その話はまた半年後かな。
DEVOAが始まる起源 私のホームページ名は『刹那の詩』と題してある。 生きている時間、集中し楽しむ時間、全ての時間は宇宙から地球を見た場合は刹那の時間である。 私の人生も刹那の事。 今を生きて沢山の方々に優しさと想いやりを受ける事で制作に集中し楽しむ事が出来ている。 DEVOAの制作についてゆっくりと説明や制作のプロセスをご説明出来たらと思いこの記録を少しずつご紹介したいと思います。 洋服制作の事ばかりではありませんが人生の全てが繋がって今に至る。 DEVOAは私自身を現している。
2024年10月26日 私の父が他界した。 普段、母から昼間に携帯へ連絡が来る事はとても珍しい。その電話で母から知らされた。 その時母はまだ声が震えていた。 父が死去する前日には母と一緒に外へ出掛けたり次の日の昼食の内容まで母に頼んだが、次の日ベッドから起きてくる事は無かった。 父がやり残した事は私には分からないが彼の人生にとってはとても幸せな最後だったと思う。 私は自身の親が居なくなると言う初めての経験で悲しいけれど何とも言えない不思議な感情になって色々な事に集中出来ず脳内は過去を振り返る作業ばかりを繰り返している。
今、この文章を書き始めた時間は10月27日朝の5時55分。 葬儀の準備の為に地元である長崎県佐世保市に帰郷する電車の中だ。
東京から長崎県佐世保市までは飛行機を使って6時間ほどかかる。国内なのにとても遠い。 月末なので会社の経理業務で殆どの会社役員は忙しい時期にあり、立場上私もまた同じである。 沢山の考え事を考える事が出来ない不思議な感情が爆発したのか何故か携帯にこの文章を書いている。 本来考えなければいけない事から逃げて自分の過去を思い出し、今の出来事や考えを残す作業をしている。
私は15歳の春休みの時、同じ長崎県内ではあるが自宅から車で4時間ほど離れた高校にレスリングの為に進学した。 その為、生活はその年から一人暮らしが始まり両親と一緒に暮らした時間は自分の感覚として多くは無かった。 勿論父との沢山の思い出は記憶として受け取っている。 高校時代はレスリングに没頭していたので高校生の3年間の間では殆ど休みが無かったが父は大会があったり父自身が休日を使って家から車を使って4時間以上かかる距離を走り、私の下宿先に来てくれて私の好物である鰻を毎回食べさせてくれた事が印象に残る。
私自身は母方の血を濃く引き継いでいる。 血液型、話す内容や視点、感覚だったり、遺伝しやすい爪や肌から指先まで。 15歳の時、私が高校進学の際に進路は2つあった。 自宅近くの高校を選んで進学、もしくは自宅から離れた場所で一人暮らしをしながらレスリング競技に没頭する事を前提として自宅から離れた高校へ進学を選ぶ二択である。 その際、両親と話し合いをした事を今も良く覚えている。 父は公務員で一般的な生活をし、安定した生活をしてきた。母は祖父が営んでいたテーラード工場の場所を作り替えて草月流生花教室を主宰し着物の着付けと茶道まで芸術的観点の仕事で生きてきた。
母の草月流とは違う視点で制作したドライフラワースタンド 2019年CROMÄGNONで制作。 私の進学について両親の意見は正反対だった。 実家に近い高校へ進学して欲しい父の意見と親元を離れても冒険して欲しい母の意見。 その話し合いの時に母が私に対して助言した内容がこの後の人生でDEVOAの制作をする事になる全ての始まりだと今は自分自身ではっきりと自覚している。 母は私の目を凝視しながら言った。 『あなたの人生です。あなたが今後大人に成長する上で好きな事に集中し、お金の心配をする事無く何かに没頭出来る時はこの時だけです。あなたの人生をあなたが選びなさい。』 結果、私は迷わずレスリングの道を選んだ。
私が選手時代の全国大会の写真 その時父の考えとは違う道を選びましたが大会で結果を出す度に喜んでくれました。 私が全国大会に出る度に何度も減量している事を心配していた。 私はその後、レスリングの成績のおかげで車製造会社に勤めた。 18歳までの人生の全てをレスリングの時間に充てていた為、一般的な常識や感覚が備わっていない自分に対しこの会社で安定した生活を手に入れている事に違和感を感じていた。 そんな時、自分の感情や感覚のまま20歳になる前にその安定した生活が出来る会社を退職する事にした。
退職後、レスリング以外のスキルを全く持ち合わせていなかった私は自身の知識を少しでも活かしたトレーニングジムインストラクターの仕事を5〜6年継続した。 高校生を卒業するまでアルバイトも経験した事が無かった私は夜中も含めた空いた時間に色々な業種のアルバイトも経験した。
その後、どういう運命かお客として行った洋服屋のオーナーから突然オファーを貰い洋服屋の店長として一人で店をやる事になる。 とりあえず店舗でのお金の扱い方や計算方法だけ教えてもらい店頭に1人で販売を行う事になった。その時の私の容姿は今考えると一般的な販売員とは違っていた。 頭は坊主頭で眉毛は細く、真っ黒いスーツを纏い店頭に立っていました。その容姿は殆どジャパニーズギャングである。 まだ若かった事もあり、目つきも悪く店舗があった場所の周りは治安がとても悪い場所に在り本物のジャパニーズギャングの方々もお客様として来て頂いたり刺激的な毎日を過ごした。 当時の私を知るお客様は今でもあの洋服屋には見えない私の姿を覚えているはずです。 他人に対しての優しさや思い遣りなど普通は備えている人間学を私はインストラクターと販売員時代に学んだと思う。
3年程販売員を経験する中で自分が商品を買い付けて販売する事よりも、作る方に興味が湧いていた。 作る方に興味が湧いた理由は言葉で表現が難しい。 単純にもっと理想的な洋服を想像する様に感覚が変化していた。ここまでは販売員としては良くある事だと思う。 この考えが芽生えてからは私の運命が大きく動く。 私はプライベートで洋服のパターンを作っている男性に巡り会う。その男性とは映画やマルセルデュシャン、マルタンマルジェラからアントワープ6、ヘルムートラング、CCP、カルペディエムの話まで好きな方向性や考えが完全に一致していた。 お互いそれぞれが若い頃から当時持っていたお金の殆どを洋服に対して使い、自分なりのファッションを楽しんだ時代があった。 仕事終わりや休日を使ってお互いの時間を共有する中でファッションに対する情熱が爆発した。 私には何が表現出来るだろうか…。
私の特技は何だ?洋服を作る過程でブランドの哲学や自分自身と向き合えるコンセプトは? 自分の足跡を思い返した結果それはスポーツテーピング理論を使ったパターンを用いた考え方だった。 スポーツテーピングは体の一部を固定したり補助する為に必要とする。 人の動作には一定の可動域があり、全身には神経回路が沢山ある。 洋服には生地が縫い合わされて生地が重なる部分がありその箇所は固くなる。 その縫い合わされて固くなる部分を体の動作に対して作用しない様にパターンを設計したり、着用者の動作に影響しないように動きやすいパターンを人体に合わせて設計を考えた。 テーピングには内巻き、外巻きと体の部分に合わせて巻く方向があり不思議な事に体の神経に作用する。 人体に合わせた立体パターンで体幹バランス等を(体の手足のバランス)着用者の体幹バランスよりも長く見えるようなバランスでパターンを製作したり、洋服に対して筋肉の様に分量を付けて体型をより良く見せるようなパターンを思案した。 この様に私自身がレスリングやインストラクターを経験して得た専門的な知識をDEVOAの哲学として制作する事が重要だと考えた。
それから休日の時間の殆どを当時の生地屋と縫製工場へ行き、その現場のお手伝いをしながら沢山の事を学ぶ時間に充てた。 その時間は私にとっては服飾学校で学ぶよりも制作について早く理解する事が出来た。 この経験や出会いが無ければ生地や洋服を作る知識や情熱は成長する事なく洋服を作る事を諦めていた。
私がブランドをスタートした当時は5型だけの洋服を顔馴染みのカフェのスペースで販売する事だった。 展示会として友人を集めてコーヒーを飲んでもらいながら洋服を販売した。 店内が素敵なイタリアレストランで展示会をした事もあった。 勿論、知らないお客様に対して声を掛けて当時でも1万円〜5万円以上する半袖Tシャツやニットを販売していた。 今の時代で見知らぬお客様へ急に声を掛けて販売する事はとても難しいと思うので当時はとても恵まれていたと思う。 その当時のお客様には今でも心から感謝しています。 私に対して投資してくれている事に毎回沢山のエネルギーを貰って次回の製作に挑戦した。
2004年当時販売員時代に初めて制作したセルジュゲンズブールのコラージュ 2005年当時手作りしていたお客様用資料 2005年カフェでの展示会画像 私が株式会社として企業して4年程経過した頃、私の母はテーラーだった祖父が使っていた裁ち鋏とブランドタグを私に渡した。 それはブランドとして制作を始めた際に受けっとったのではなく、ブランドをスタートしてから6年目だった。 その鋏は祖母が作ったであろう、キルトされた布カバーに包まれていました。その袋の刃先部分が破れていたので鋏のカバーは全て私自身で作り直した。 私のキャリアはレスリングからスタートしましたがレスリングの経験でトレーニングインストラクターになった。 トレーニングインストラクターの経験で色々な知識と常識を学び、洋服屋で洋服の色々な事に興味が湧き自分の知識と経験を生かしたブランドを製作する事になった。 それぞれの経験や出会いの点が繋がり、線になった。その事を自分自身が理解し、祖父から私にやっとバトンが渡された事を自覚した事をよく覚えている。
私の家族に感謝しています。 私はレスリングを含めてスポーツをしながら20歳までを過ごしてきましたが現在はParisで展示会を行い、今を生きています。 20歳の頃には想像も出来ません。
人としてはまだまだ未熟であり、 デザイナーとして夢の途中に在ります。 2007年、東京で初めての展示会を迎え、2008年にはParisでの展示会に挑戦しますが私の様に名も無いブランドは殆ど海外バイヤーからは買い付けてもらえず憔悴しながら日本へ帰国する事になりますが…その話はまた次の機会に。
FUTURE NOMADS / HERE TO GO : テーマ『FUTURE NOMADS』
今回はanudoを製作する小野原誠氏&モエさんのチームとメイクアップブランドであるFiveism by THREE HIROKI氏とのトリプルコラボレーションとなります。
私は土台、フィギュアの服(革と和紙)を製作しました。 Anudoが作るフィギュアの体幹バランスに興味を持ち、制作を依頼したところからストーリーは始まり、最終のメイクデザインはFiveism by THREE HIROKI氏にもご協力いただき完成する事が出来ました。
以下今回のコンセプトです。
インスタレーション≪FUTURE NOMADS / HERE TO GO≫は、地球を去り宇宙に旅に出た”未来人”の進化を象徴する5体のフィギュアから構成されている。
それらは、未来と伝統という相反する2つが生みだすコントラスト、変化や進歩への欲求、流動的でダイナミックな人の心と不変的な人体を表すポーズで展示されている。 その身体は鎖で拘束され今にも暴れだしそうな躍動感があり、またその表情や肉体は希望を感じさせる。
この作品のインスピレーションの一つとなったのは、カナダ人の映像・写真アーティストGregory Colber氏の作品と彼のプロジェクト『Ashes and Snow』であった。 およそ12年前、Daisukeは東京で展示された『Nomadic Museum』で初めて彼の作品を目にし、その世界観に引きこまれた。
彼の作品から着想を得たDaisukeは、自然を感じさせる土壁のようなテクスチャーや日本伝統の和紙に注目し、それらを未来的な衣装デザインに落とし込み、伝統と未来を融合させていった。
未来人を表現するにあたっては、Daisukeが以前から関心を寄せていた日本人アーティストMotonari Ono氏に協力を依頼した。 彼が作るフィギュアの魅力は、ミステリアスかつジェンダーレスで、未来的で昆虫のような雰囲気を持ち、それはまるで宇宙空間で生きる進化した人間の姿を現わしているようである。 フィギュアが着ている洋服は、レザー(Guidi Atelier/イタリア)や今回のために特注した和紙(アワガミファクトリー/徳島)といったナチュラルな素材を用いて製作されている。
フェイスデザインは、ジェンダー・フルイドなスタイルを提案する日本ブランドFIVEISM x THREEとのコラボレーションで創りあげられた。 [ https://www.fiveism-x-three.com ]
デザインはRie Omoto氏(Global Creative Director)、Hiroki Sato氏(Official Make-up Artist)によるものである。 彼らがテーマとしたのは、”人間の常識も性別も越えた宇宙を漂流する戦士たち-ジェンダー・フルイド・ウォーリアーズ-” その未来では人種による肌色の違いという概念がなくなり、彼らの顔はシルバー、ブロンズ、ゴールドにカラーリングされている。 地球を離れてしまってもなお、彼らの顔にはかつて生きていた地球を象徴する五元「火・風・地・空・水」を表す未来的な漢字がペイントされている。
こちらの作品はカナダ・バンクーバーにあるコンセプトショップ:Leisure center で展示をさせていただきました。 Leisure centerではメゾンブランド等の服、厳選された本、ライフスタイル用品、スキンケア用品、アート作品、音響機器が一斉に並び、こだわりの素材を使ったカフェも併設した巨大な空間となっています。(特にローチョコレートが最高でした) [ https://leisure-center.com ]
店舗は文化遺産となっており建物の床などには古い絵画の様な絵も残ったままでした。 店内は約500平米の広さが2層にわたって続いており、その名の通り一日遊ぶ事が出来る日本では見る事が出来ない巨大空間でした。 世界的にもここまでの広さと拘った商品のみを厳選している店舗は少ないと思います。 バンクーバーは私自身初めて訪れた場所でしたのでとても緊張していましたがアジア人の人口がとても多く、街並みはとても綺麗で自然と都市が融合した素敵な町でした。
実際の展示では写真家:LEN氏も同行し作品を展示させていただきました。
LEN氏にはDEVOA/CROMAGNONと個展、プロダクトを含めた全ての撮影をお願いしており、日本各地でも作品展を開催しています。
私達が何より驚いたことは、Leisure centerオーナー夫妻のおもてなしです。 私たちは展示(展示期間は2か月ぐらい)させていただいたにもかかわらず、オーナー夫妻は滞在日数3日間の朝昼晩全ての食事を含めて色々とケアして頂き、帰国の際の飛行機の乗る直前までの食事の手配と沢山のお土産を頂きました。
私達はモノも沢山いただきましたが、何より決してお金では買えない思いやりの大切さと思い出というお土産を沢山頂きました。一生忘れる事の無い楽しい旅でした。 Mr.MasonさんとMrs.Muyunさんに心から感謝を送ります。
Created: 2019年 First Exhibited: Leisure Center(Vancouver, Canada) Material: Japanese paper, calf leather, brass, wood Size: H50cm x W40cm x 40cm 5 bodies
Yin and Yang テーマは『陰と陽』
今回は形状を屏風とし、空間に影響を与える壁をイメージして制作しました。 屏風本体の制作は東京墨田区にある1946年から創業の片岡屏風店で製作して頂きました。 依頼した屏風は高さが280cmあり歴史的にも製作した事が無い屏風だったようで今回の制作には大変尽力して頂きました。 とても感謝しております。
屏風は1面を1曲と呼び、左右セットで1双と呼びます。 今回制作したサイズは6面×2体なので専門的な呼び名は6曲1双です。
表側には日本・徳島県で製作した手漉き和紙を土壁の様なテクスチャーで依頼して製作して頂きました。色に関しても色ムラが出るように不均一に仕上げていただきました。 上下金色の部分は真鍮箔に漆を塗り陰陽を表現できるように指示して色付けしています。
裏面は能登上布の糸を製作するようにラミー糸(苧麻)をそれぞれの色で染色し、こんにゃくのりを引いて制作した糸を使い機械織機で製作した生地を裏側の全面に貼っています。
今回制作した屏風のイメージとしては、左右で陰陽と分けて制作していますが空間に影響を与える事を前提とし、そびえ立つ屏風の形状と和紙の雰囲気を体感して頂ける事を目標としました。近くに行くとサイズも大きいので土壁の空間にいるような感覚になると思います。大きい作品を作る難しさと楽しさを経験した個人的にも多くの記憶が残る作品です。
日本国内で初めて展示させていただいた空間は、京都・Gallery SUGATAにて展示させていただきました。 空間は天井も高く280cmの屏風も置く事が出来るとても素敵な空間で個人的にも多くの経験をさせていただきました。 特に京都ならではの文化財のような空間に手入れが行き届いた庭との融合がとても素敵で記憶に残る財産となりました。
この場を借りて社長の荒木様、スタッフの今村様と鈴木様には大変感謝しております。 Galleryと併設された然花抄院では素敵は和菓子と洋菓子も一緒に楽しむ事が出来ます。 特に驚いたことは社長の荒木様が建物の壁面含めた商品パッケージのデザインをされていたのですがとても美しく、洗練されており商品以外でもおもてなしの心が行き届いている事に沢山学ばせて頂きました。今後海外でもこの感覚を経験できない素敵な記憶となりました。
この文を読んで戴いている方も京都に行かれた際は是非、然花抄院とGallery SUGATAを体感してみてくださいませ。 [ https://www.su-ga-ta.jp ]
Created: 2018年 First Exhibited: Gallery SUGATA Kyoto Material: Japanese paper, lacquer, ramie, wood, brass foil SIZE: 280cm×80cm×6pcs×2pcs(6曲1双: 6 sides x 2)
Figure garment DEVOAのパターンコンセプトを表現したオブジェクトです。 パターン自体は人体に合わせて制作していますが体幹バランスは出来る限り手足が長く見えるように各関節位置を独自に設定してパターンを製作しています。
DEVOAのパターンで体幹バランスを参考にしている生き物は昆虫です。 手足の関節位置や服を着用した際のフィッティングバランスや着用者の可動域含め、服のパターンに対してどこまで表現できるか初期の頃から参考にしています。 DEVOAのパターンにも全て関節位置が着用者の関節位置を無視した特徴的な部分に存在します。
今回のオブジェクトは昆虫から想像する体幹バランスを表現する為に、約1/4サイズに縮小して昆虫標本箱に収めました。 素材はDEVOAの商品にも使われているカーフレザーで製作しています。
Figure garment 制作:2015年 発表の場所:Paris showroom 2016ss / DARK LANDS BERLIN / Gallery SUGATA Kyoto 素材:カーフレザー SIZE:58cm×38cm
Hypothesis and evolution テーマは『進化と仮説』
私はDEVOAというブランドの中で人体に合わせて立体裁断を構築していますが実際には人体に沿っている部分は全てではなく、仮説的な部分や実際の体幹バランスを変更して制作している部分が多くあります。 私が敬愛する解剖学者・アンドレアス ヴェサリウスの残した版画は実際の筋肉構造とは違う部分が多くあります。その謎は未だに解明されていません。
そこで今回の作品では私なりに仮説を立て背中(広背筋)に着目した作品を製作しました。仮説内容は広背筋と菱形筋に対して新しい筋肉構造を持たせました。 服のデザインは別として実際に服を製作する際に設計図面であるパターンとの会話によってどういった副作用が起きるかをよく考えます。
変な形をしていても縫製した後に着用すると美しくフィットしたりする事も少なくありません。今回はその設計図面とそのパターンで組み上げたフィギュアとの平面と立体を同時に見る作品として制作しました。
人体構造も一つの宇宙であり、美と理のバランスを表現した作品です。
Created: 2017年 First Exhibited:Eth0s SHANGHAI / Gallery SUGATA Kyoto Material: Japanese paper / calf leather / brass SIZE: 70cm×80cm
Bone extension DEVOAというブランドを製作する上で理解する必要がある人体構造を表現したオブジェクトです。
外枠は真鍮製、掌はFRP(強化プラスチック)、その他は全てカーフレザーで製作しています。筋肉繊維の上腕二頭筋や上腕三頭筋全て人体に合わせて設計し、革を裁断し制作しています。
DEVOAの特徴である袖のバランスを表現する為に“腕”にフォーカスし表現しています。 造形は実際の医療で使われる骨延長施術器具をDEVOA用に改造して制作しました。
Bone extension 制作:2013年 発表の場所:Paris showroom 2015ss / Gallery SUGATA Kyoto / Ethos SHANGHAI 素材:真鍮・カーフレザー・FRP SIZE:87cm×40cm
Neo definition テーマは『不確かなモノと定義』 中心部分は水墨画に見立てたコードヴァン。 その他の部分は手漉きの和紙で製作。
私がコードヴァンを靴、カバン用に大量に購入した際に革の色は全て黒をオーダーしていましたがオーダーと全く違う美しく水墨画の様な色味の革が混入していました。
コードヴァンは通常の革と違い表側と裏側を漉いた繊維の中心部分であるコード層という部分の革を指します。コードヴァンが革のダイヤモンドと言われる所以は革の両面を磨いて(掘って)見つかる部分から来ています。 コードヴァンの染色は通常ナチュラル色(肌色)であり片側を染料とワックスで磨いて染色します。 私がこの時にオーダーした革の染色方法は染料に付け込んで染色する方法でした。
革はタンパク質繊維の集合体です。 コード層は特にタンパク繊維の密集が強い部分でありその部分はどういった大きさ、形などは同じものは一つもありません。
今回使ったコードヴァンの表面色は黒い部分とベージュの部分が美しくまだらになっています。ベージュの部分はタンパク質が特に密集していて黒の染料が入らなかった部分なのです。 オーダーした内容からすると染色に失敗した革なのですが、個人的にはとても美しい水墨画のように思えたのです。 実際に約100頭分からこの状態の物は2枚だけでした。
考えて作る事が出来ない美しい発見とこの奇跡の出会いを大切にすべく、通常の商品としては使わず個展用のアート作品に使う事を決めました。
使用した和紙も同じように1枚の紙に対して4色混ぜて紙を漉き乾燥後にやっと色の確認が出来るように曖昧に染色指示をしました。 染色してみないとわからないタンパク質繊維の集合体と乾燥後に確認できる植物繊維の色味という不確かなモノと天然の美しさを日本の掛け軸黄金比に閉じ込めた作品として制作しました。
Created:2016年 First Exhibited: Dark lands Berlin / Gallery SUGATA Kyoto Material: Japanese paper / cordovan / acrylic SIZE: 144.5cm(H)×37.5cm(横)×108cm(W)×1.5cm(D)
Anatomy hanger 2.0 Anatomy Hanger 1.0からの制作過程を説明させていただきます。
今から約14年前にモノづくりを始めたのですが東京:恵比寿にて初めて展示会を 開催する際に初めに製作を取り組んだモノが什器とハンガーでした。まず先に当時制作した什器の説明をさせていただきます。
什器名:MINIMUM:MAXIMUM(最小面積・最大容量) 材質:鉄 サイズ:120cm×160cm 高さ:200cm
MINIMUM:MAXIMUMは接客コンセプトを優先して考えた什器です。120cm×160cmの面積にAnatomy hangerを使い約48着の服を掛ける事が出来ます。什器に服が掛かった全体像は服が集積され大きな筒状となります。もちろんお客様が通常の店舗のように自分で好きなように手に取り全ての服を見る事は難しく当然接客が全てを左右します。
対応する接客側がお客様と会話をし、お客様に合った商品を接客者が48着の中から選び、その筒状から少しずつお客様へご提案するのです。お客様はソファーに座るか、鏡の前に立ち会話を楽しみながら買い物を楽しみ自分を彩る。これは全ての商品を見せないという事ではなく、お客様との時間を共有し接客の会話により新たな発見を優先した考えです。
・・・なんと現在のあらゆる店舗では考えられないパンクな精神でしょうか。今現在やこれからの未来と全く逆行していますね。ですが今でも服に限らず接客やおもてなしとはこういう事だと考える自分は今も変わっておりません。
ハンガー:Anatomy hanger1.0 材質:ブナ材
ハンガーの形状についてはある時の気づきから始まりました。モノづくりは全てそうなのですが・・・服の原型制作の際に仮縫いした上着を衿部から首の後ろ部分に手の甲を上にして仮縫いした上着をその手に掛けて服の下がり面を見ていた際に感じたことは手の大きさという最小面積でハンギングされる姿が自分の考える立体パターンを一番表現できると考えました。結果ハンガーの大きさは私の手より少し小さいサイズとなり、重力の中心部分を人体に合わせ僧帽筋の形状を参考に形を作り始めました。
このハンガーを実際に形にするには沢山の時間と制作に対して協力していただく会社が必要でした。ハンガーの形状や理論などやりたい事は固まっていましたので無我夢中でネンドを使い原型と呼ぶには程遠い、愛らしい情熱の塊を作った事を覚えています。その‘愛らしいヤツ’を持ち込んだのは中田工芸株式会社でした。青山にショールームSHOPがあり礼儀知らずの私は‘愛らしいヤツ’と根拠の無い自信を武器に殆ど丸裸で乗り込みました。
個人事業として立ち上げまだ半年ほどの片手にネンドを持った様子がおかしい私・・・相対するは礼儀正しく迎えてくれた70年以上続く会社の社長さん。正しく、鼻息の荒いウサギがライオンに交渉に行くようなものです。
結果として中田社長は快く迎えていただき、私の‘愛らしいヤツ’と私の考えをまるで子供同士が同じ遊びを研究し楽しむような感覚で話をして頂きました。いま改めて考えると私が中田社長と同じ立場の場合、同じ目線でテーブルに向き合い同じ行動が出来るのかと思うと感謝しか残っておりません。中田社長の立場関係なく忘れないモノづくり精神と探求心を体感させて戴き、今も私の大切な財産として思い出残る時間になりました。
中田社長のお力を十二分にお借りして製作は現実となり一気に加速しました。子供心を良い意味でも悪い意味でも忘れない私は兵庫県・豊岡市にある本社へ伺い制作現場に立ち会わせて頂きながら形状、各種塗装の意味や種類など無我夢中で現場の匂いを感じながら時間を忘れ、あれこれと注文を付け完成に向け全神経を集中していた覚えがあります。私はコンセプトを考えましたが形状の修正含め実際に作業された方は本当に大変だったと思います。
結果、‘愛らしいヤツ’は中田工芸株式会社のお力を借りて世に商品としてデビューする事が出来ました。10年以上経過した今でも弊社取引先のオーナー様からこのハンガー制作過程について、モノづくりとしての初心を忘れないように檄を頂く事があります。それだけ制作側の思いが商品を超え、見る側の心に伝わったのだと私は思い込んでいます・・・
まだAnatomy hanger1.0の話です。
しかしながら1.0の起源が私にとって2.0を創造し製作する上でとても重要な起点でしたので長々と説明してしまいました。(1.0について詳細を書くと倍以上話はありますが・・・)
さて、やっと本題の2.0です。
ここまで読んで頂いた方はお察しの通り1.0と同じく必殺のネンドで1.0を包みながら肉付けし、同じように‘愛らしいヤツ’を製作し発送して制作進行して頂きました。制作当時はCOVID-19の影響真っ只中でしたのでお互い電話と荷物の受け渡しのみで制作に取り組んで頂けた事、本当に感謝しております。
2.0では考えは大きく変えず、修正点や材質を変えて制作しました。本体の材質はFRP(強化プラスチック)。今回の制作にご協力いただきましたのはFRPであらゆる形状を製作されています(有)富士加工様へお願いしました。
殆ど1.0の思い出が多い文章でしたが今回ご紹介したい商品は2.0です。是非ご検討くださいませ。
本体の表面と色については骨をイメージした色と表面のテクスチャーをお願いしました。本体から繋がる紐については対候性に強いテントの縫製などで使う糸とポリエステルを江戸組紐にて紐状にオリジナルで製作しました。フック部分にはドイツ:FIDLOCKのマグネットパーツを使って簡単に取り外しが出来るようにしております。
※通常販売品に関しては一般的なハンガースタンドの高さに合わせて設計製作をしていますがサイズカスタム希望の方はオーダー後にメールのやり取りにてフックがかかる太さやフックから本体までの距離はご要望であれば無料にて希望通りに製作します。 但し、完成後の紐の調整は出来ません。完成後の紐調整に関しては別途有料にて変更も承ります。弊社製品取扱店舗でもご相談して購入することも可能です。
ハンガー:Anatomy hanger2.0 材質:本体:FRP(強化プラスチック) 連結紐:PTFE50% ポリエステル50% 連結パーツ:プラスチック:マグネット
Sense and influence テーマは『色が感情に与える影響』
人が視覚から得られる情報として大きな項目は色と造形だと考えています。 その色と天然の質感を提示した時の感情に対する影響という実験的な作品です。
色味に関しては私自身が常に脳内にあり、好みの組み合わせであるチャコール・ベージュグレー・グリーングレー・ウォームグレーの4色をベースに革を染色しました。 革の質感は傷などを残した革を使い、パネルの端は全てハンドステッチで製作しました。
初めて見る方は、1色に着目するのか、全体の色を見るのか。 よく見ているうちに革の表面傷に気づくと思います。 その次にハンドステッチの糸にもお気づきになる・・・・
私の脳内にある色と天然の質感を他人が見た時にどこに着目し、どういった見方をするのか、または何も感じないのか。 全ては自由であり、個人的な実験のような作品です。
Created:2017年 First Exhibited:Eth0s SHANGHAI / Gallery SUGATA Kyoto Material: calf leather SIZE: 230cm×126cm
Divine Providence テーマは『摂理』
8頭分のシェルコードヴァンを使い製作しました。 シェルコードバンは取れる面積がとても小さく不規則で実際に製品にできない大きさなど小さいものがあります。 今回使用した革は私が商品に使う事が出来なかった大きさのシェルコードバンを小さなキャンバスに釣込んで製作しました。
キャンバスはシェルコードバンのサイズに合わせて不均一です。 その不均一キャンバスを螺旋状に並べていた際にバランスが取れた形でまとまる瞬間の刹那を切り取ったイメージの作品です
Created: 2017年 First Exhibited: Gallery SUGATA Kyoto Material: shell cordovan / wood SIZE: 130cm×100cm